Japan: 3. Kanto Region - 3. 日本: 関東地方

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3. Kanto Region

3. 関東地方

Ibaragi Prefecture

茨城県

私は水戸市へ行ったことはないが、最近つくば市と筑波山へいってきた。

All Japan Conference in Ibaraki" of Gideons, in Tsukuba City 2018

つくば市で日本国際ギデオン協会の「全国大会in茨城」 2018

2018年7月初旬、朝早起きして東京・秋葉原から初めてつくばエクスプレス鉄道で茨城県つくば市へ行き、聖書を配る日本国際ギデオン協会の「全国大会in茨城」に参加した。グランドホテル東雲(しののめ)の集会ホールで行われたもので、400人の参加者があり、各地の支部での経験をシェアし合った。学びで特筆するのは、茨城県最大の土浦めぐみ教会の清野勝男子(かつひこ)牧師が「クリスチャンとしての成長」と題する講演で、みなさんの意見を聞いたあとで、成長の反対「ごうまん」(傲慢)を例に出して、分かり易かった。『新生歌集』から沢山の歌を歌ったのもよかったし、茨城県の人たちが作詞して、武義和が作曲した「ここに希望がある」、「伝えよみことば」をみんなで歌ったり、めぐみ教会の聖歌隊が歌ったのは特によかった。横浜支部の山口信三さんと同じホテルでいろいろ話あったのもよかった。長野市へ単身赴任した時に行った山形県米沢市の小貫晃義夫婦にも再会できて大変印象深かった。去年同じころ横浜市で行われた「全国大会in神奈川」の終わりにこの茨城の会の紹介があり参加したもので、今回も来年の「全国大会in和歌山」の紹介があり、白浜温泉で行われるので参加してみたいと思う。 (2018.07.06.〜07.)

Climbing Mt. Tsukuba

筑波山へ登る 2018

茨城県へ足を踏み入れたのは初めてで、日曜日はすでに2・3時間前に国際ギデオン協会全国大会(上記)の教会訪問を済ませていたので、水戸へいって偕楽園へ行くか何かしようと思ったが、結局近くの筑波山へ登った。全国会で久しぶりに会った友人(江頭真彦さん)を相棒に8:30発のバスに乗り、9:40発のロープウェイに乗って、まず女体山へ登り(相棒は前日も登っているのでこの後温泉へ)、そこから私は峠へ下りて男体山へ30分で登って降りて、11:00のケーブルカーで降りた。時間がなくロープウェイとケーブルカーでいったので(値段は合計1200円)、少しは歩いているが筑波山を登山したとは言えないし、冬なら360度の眺望を楽しめるはずが、夏だったのでそれは無理だった。ケーブルカーを降りると男体山神社と門前町が大きくて延々と歩かされて多少腹が立ったが、バス停近くのドライブインで次のバスを待ちながらヤマイモ・ソバを食べて(そこでコシアン入りソフトかりんとう「ガマの穂」が一番人気だというのでお土産に買ったが、味の程はそんなによくなかった!)、12:10発のバスでつくば駅に戻って、急いでつくばエクスプレス電車に乗って東京・秋葉原へ帰った。(2018.07.08.)

Tochigi Prefecture

栃木県

Nikko

日光

栃木県といえば日光、ここへは小学校の6年生の遠足で春の日光へ行って以来、男体山・戦場ヶ原・奥日光も含めて何回かいっている。最近では、退職後の中国時代にも秋の日光へ2008年10月初めに行っている(日光東照宮・いろは坂・中禅寺湖・華厳の滝)。

Oku-Nikko, Senjo-ga-hara and Mt. Nantai

奥日光・戦場ヶ原・日光白根山・男体山

大学生の時にひとりで奥日光のユースホステルへ、2000年7月末にLAMN登山会でも奥日光・竜頭の滝・戦場ヶ原・日光白根山・男体山へ、2001年1月末に奥日光・光徳牧場へ妻とスキーに行った。

Gunma Prefecture

群馬県

Yokokawa

横川

父が横川の出身なので、子供のころ碓氷峠あたりの実家へ2度ほど行ったことがある。また、当時信州行きの信越本線の汽車は碓氷峠を超える前に、横川駅(北陸新幹線が開通した現在は、信越本線:高崎駅〜横川駅の終点)でアブト式路線の機関車へ替えるので、その時間に名物・釜飯を買って食べながら窓を閉めて、トンネルを通過中に煙が列車内に入らないように用心した。参照:日本・国鉄信越線 汽車の旅

Mt. Haruna 2015

榛名山 2015

子供のころ信州行きの汽車の中で、父がよく「赤城山・榛名山・妙義山の上毛三山は山の侵食の状態を3様に表している」などと解説してくれたが、どの山にも登っていなかったなと思っていたところ、2015年10月中旬、榛名山へ妻と旅行する機会ができた。旅行の目的のひとつに2・3年前に圏央道(首都圏中央環状高速道路)が完成して、隣町の茅ヶ崎市が出発点なので、そこを通り、厚木・高尾山などを経て鶴ヶ島で東北道(東北高速道路)へ達するのを通ることで、確かに便利になった。行程を書くと、14日は8:15藤沢を出発、9:15圏央道の海老名ICに入ってすぐの厚木PA(PA=パーキングエリア)で妻から運転を交代し、10:15鶴ヶ島JCTで東北道へ入り(前橋まで片側3車線でそこから2車線)、11:15渋川・伊香保ICで一般道路へ出て、伊香保温泉と高根展望台を経て、12:15榛名湖へ到着し、湖畔で持参の弁当。(片道200キロ弱、料金は4820円、高速道路ではみなさん大体毎時100キロで走行していた。)15日の帰路は、14:45榛名湖を出発、鶴ヶ島を経て、17:00には厚木PAで妻へ運転を交代、途中コンビニで夕食を買ったりして、18:30には帰宅。圏央道は路肩も狭くてまるで首都高速のような作りで、起伏が激しい所が多くてトラックがスピードを落とすので度々車線を変更し、大きく曲がるトンネル、途中で坂を上下するトンネルもあり、最近完成した余裕ある第二東名とは大違いの危険道路と見た。しかし途中で東名高速、中央高速へ通じ、10月には東北高速にも通じるので。確かに便利になった

1日目に宿へ到着後は、13:15にそこを出発して、すぐそばの登山口から榛名富士(1390m)へ登り(高度差は確か270m)、紅葉はまだまだで、14:15には頂上へ。頂上は300度位のいい景色で、赤城山から前橋市街・高崎市街・利根川などがよく見える。下山はロープウェイで(440円)、15:15から榛名富士の麓の榛名湖畔を30分位散歩してホテルへ帰ったが、これが最高だった。16:30から近くの「ゆうすげの湯」へ入りに行って(割引き券で440円)、18:00から宿(セゾン・ド・はるな)の夕食はフランス料理。このホテル、この時期に我々だけの貸し切り状態だった。2日目、私は6:30に起床、湖畔を散歩。8:00から湖畔のレストランで朝食を食べ、これが2番目に最高だった。ホテルの支払いを済ませて(約25,000円)、9:45にゆうすげ園へ車を置いて外輪山の相馬山へ登山開始したが、三ッ峰山へ行き帰りの所で道を間違えたことに気付き、もとの所へ戻り、11:00には再出発。紅葉を楽しみながら、11:30にはスルス峠を経て、12:25に相馬山頂上へ(1411m)。黒髪神社があって狭苦しいのですぐ下山して、見晴らしのいい所で13;15からホテルでもらったパンと持参の缶詰で昼食30分、秋の日差しの下、榛名富士と榛名湖と遠くに浅間山と多分浅間隠山を望む。私だけ、近くのスルス岩へ20分位で登りに行って、これが3番目の最高。スルス峠から下り、ゆうすげの道をススキに吹かれながら歩いて、14:30には駐車場へ戻った。両日、丁度帯状高気圧が来ていて、天気は快晴で、風もほとんどなく、行楽には最高の暖かい日だった。 (2015.10.13.-15.)

Saitama Prefecture

埼玉県

埼玉県へも行っているのを思い出した。秩父にある武甲山へ登ったことがあり、熊谷市の友達に会いに行き、熊谷駅前の熊谷直実の写真も撮ったことがある。

Playing in the Korai River

奥武蔵の高麗川で遊ぶ

孫たちは日本の最後の週末になるので、金土日に二泊で埼玉県と東京都の西部の山岳地帯へ遊びに連れていった。この日は関東地方も梅雨明け発表があり暑い日だったが、初日は茅ヶ崎から圏央道へ入って、鶴ヶ島ICで出て、途中「醤遊王国」(弓削多醤油)で醤油の作り方を学び、そこで田舎の昼食も醤油アイスクリームも食べた。そこを出て、高麗川のほとりにある奥武蔵休暇村に泊まり、そこは今年4月に改築されたので気持ちがいい。高麗川は川幅10メートルの小さな川で、綺麗な水で、午後2時から川中で1時間ぐらい孫たちを遊ばせた。ハワイでは川がないのでプール以外では普段海で泳ぐ孫たちの名言は「この川は水がしょっぱくないんだ!」私は小学校5年生まではこうした川で泳いだので、彼らにそうした経験をさせて大満足。夕食はバイキングだが、静かなダイニングルームで、アユの塩焼きも出て、それを頭から丸ごと食べるのを見せた。夕方8時から高麗川へホタルを見にいって、もう盛りは過ぎていたが、涼しい風に吹かれてきた。(2018.06.29.)

 翌日も朝ホテル近くを散歩したあと朝食。その後さっそくまた高麗川で孫たちを遊ばせたあと、そこを出て、日高市にある「高麗(こま)神社」を見にいった。高句麗が唐・新羅に滅ぼされたあと、朝鮮人が日本の神奈川県大磯の高来神社付近などに亡命して、(彼らは馬具の修理などのハイテクの持ち主で、金持ちになり周りの日本人から疎まれてと聞いたことがある)朝廷の命で彼らが王族の高麗若光の下でここへ集結したといわれるもので、前から来てみたいと思っていた。丁度6月30日の夏越大祓(なつごしおおはらえ)の「茅(ち)の輪くぐり」をやっていて、この神道の習慣は初めて知った。また大きな杉の木を抱くようにしていた人がいたので話しかけたら、埼玉県若葉から参拝に来ていて、5・6年前に奥さんを亡くした方で話しかけられるのは嬉しいといって、ここは「こまらない神社」だと奥さんがいったなどの話を聞く。なぜかこの日はレストランが軒並み休業で、ローソンで弁当を買って、大多摩霊園の駐車場でエアコンをフルに効かせた車の中で昼食する始末。この後は、御岳山へ。(2018.06.30.)

Chiba Prefecture

千葉県

Inage and Funabashi Sea Coasts 千葉県北部の東京湾沿いの稲毛とか船橋は私が中学・高校生の頃は、比較的きれいな海岸の海水浴場で、4月の大潮の時には潮干狩りが盛んで、毎年クラス替えがあったので前年のクラス会などと称してみんなでよく潮干狩りにいった。

Yoro Valley 1999

養老渓谷 1999

1月末の土曜日に、LAMN山の会で千葉県中部にある養老渓谷へ日帰りで行ってきた。アプローチ : 1.総武線快速乗車:横浜(7:18)品川(7:39)東京(7:51) 錦糸町(8:00)津田沼(8:24)千葉(8:35)。2.内房線乗車:千葉(8:40)五井(8:58)。特急利用の場合は、さざなみ5号 東京(8:30)蘇我(9:00)五井(9:08)。3.小湊鉄道乗車 五井(9:22)養老渓谷駅(10:23)。交通費 : 2170円(東京から片道) 特急利用は+950。行 程 : 養老渓谷駅 30 女ガ倉 55 上古屋敷 20 大福山(292m) 40 女ガ倉 40 夕木台 20 奥養老バンガロー村 25 弘分洞 60 養老渓谷 (徒歩合計10時間半)。帰りは17:20の小湊鉄道乗車の為、時間がないので打ち上げは電車の中。 (1999.01.30.)

Southern Chiba Prefecture 2010

南房総へ小旅行 2010

税金申告がまだだったので、旧暦正月の3日から短期間日本へ帰った。中国の旧正月休みなので混んでいて、JALしか空いてなく、往復運賃が5千元を超えてしまった。日本の家で申告書をがんばって書いたら、計算しだして税務署へ届けるまで3時間で終わって、近ごろの最短時間記録だった。それで、以前勤めていた会社の健康保険組合が経営する海の家が千葉県館山市にあるので、ワイフと一緒に一晩泊まりでいってきた。藤沢市から車で鎌倉・葉山を過ぎて、林交差点というところからNTT通信研究所・YRP(横須賀リサーチパーク)へ寄り、そこで写真を撮り、そこから三浦半島の一番先までいって東京湾フェリー(久里浜〜金谷)に乗ったが、最近「海ほたる」(東京湾アクアライン)経由が無料(千円?)になったため、毎日14便のフェリーはガラ空きになっていた。(ちなみにフェリーは乗員2人で往復が8260円だった。)我が家の車はETCなどという5万円だか3万円もする機器は搭載していないので、我々は東京湾フェリー存続署名に協力してきた。

私は館山の2駅手前の富浦町におじさん・おばさんがいて、中学・高校生のころそこに毎夏2週間くらい遊びに行っていて、おじさんは医者でそのころめずらしいテレビを見て、自家用車で鴨川高校へ剣道試合観戦などあちこち連れていってくれたので、館山へも花火を見にいつもいったりしていたので(「ナイアガラの滝」という仕掛け花火があった)、このあたりは多少知っている。宿泊先は以前私たちの子供たちが小さいころ来たこともある館山湾に面した海の家で、いまはもとの雇用主ともう一つの電機会社との共同経営に変わっていて(1泊ひとり4500円)、どうやら私はこれからはこの電機会社の保養所も使えるらしい。夕食は「キンメダイ」コースを特別注文してあったので(1500円追加)、おいしかたが食べきれなかった。

翌朝は近くの洲埼(すのさき)灯台を見て、房総半島の南端の千倉(ちくら)へ廻って、「花つみ」といって、近くの農家が道の駅近くに花園を開いて、そこで好きな花をつんで、買ってゆけるところが沢山あったので、好きに寄った。折からの陽光に照らされて、いい時を過ごした。そこから帰路に着き、岩井駅から少し内陸の富山(とみさん、標高369m)へハイキングがてら登ったら、ここは「南総里見八犬伝」の伏姫(ふせひめ)が愛犬・八房(やつふさ)と洞窟にこもって、そこで八剣士が生まれ、お家再興後に終えんを迎えたところで、ここで持参のおにぎり昼食を食べて、景色もよくなかなかよかった。夕方のフェリーが出る前に時間があったので、鋸山が東京湾へ尽きるところの明鐘(みょうがね)岬で、夕日が東京湾というか、相模湾というかに落ちるのを見て、金谷〜久里浜フェリーに乗って帰った。 (2010.02.19.)

Tokyo

東京都23区

私は東京・中野区の病院に生まれ。ただし幼年時代を長野県で過ごした後、中野区(小学校の最終学年と中学)・杉並区(高校)・三鷹市(大学)で学び、社会人3年生までを東京の中野区・杉並区に住んだ。

東京時代台湾から日本へ戻ってから(短期間の信州時代を除いて)、東京都中央区にある営業本部のソフトウェア事業部で働いたあと、そこで退職した。

Nakano-ku & Suginamiku

中野区・杉並区

中野区・杉並区は小中高校次代を過ごした所で、なつかしい。西隣りの武蔵野市吉祥寺も、その近くの井の頭公園でよく遊んだので、そういった範囲かな。

Shinjuku, Tokyo

新宿

東京の盛り場に渋谷、銀座・東京、秋葉原、池袋などがあるが、子供のころから親しんだのは新宿。高校時代の同級生が『新宿センチメンタル・ジャーニー』(堀江朋子著、2018年)という本を出したので、私も簡単に新宿について簡単に書いておこう。

国電・都電:杉並区高円寺の自宅では中央線中野駅を利用したのと、航行・大学も中央線沿線だったので、やはり一番近いのが新宿。当時国電(国有鉄道=JR)の値段は中野駅から新宿駅まで30円で、自宅近くの青梅街道上の都電駅「蚕糸試験所前」からだと25円で行けたので、よくこれに乗って、あの路面電車独特の「ブーン」というモーターの音を聞いて乗った。中国・大連の路面電車は日本占領時代の車両を使っていて、この音を聞いた時は、大変なつかしかった。都電は、その下に地下鉄丸ノ内線ができた時に廃止された。

新宿駅西口 & 南口:淀橋浄水場が廃止されて、新宿駅西口ができた時は、すごい近代的な地下広場と感じた。ただし、駅そばのヨドバシカメラへ行ったのと、京王プラザホテルで高校時代の同窓会があって一回だけ寄った以外はあまり利用しなかった。新宿駅南口はいつできたのだろうか、そこの高層ビルで家族の昼食会をやったのと、紀伊國屋洋書店がそこへできて寄ったくらいかな。

新宿駅東口と地下道:新宿駅の地下道ではよく通り、入ってすぐ反対側にヤナセビルがあり、社会人になってコンピューター会社の新人教育は1年半ここであったので、この界隈はよく知っていた。果物屋のTakanoには用がなかったが、中村屋は実は創業者が長野県出身者で、村の中学校の教師をしていた母が卒業生の保証人になって中村屋で働いていたので、彼らががよく中村屋の月餅を持って我が家をお礼に訪れた。最近はまた、その村の東京在住者の集まりが毎年あり、努めて出席して、有名なカリー(カレー)を食べている。紀伊國屋本屋へはよく行って、その裏にAdHoc店ができた時も東京に住んでいた。このビルの地下のカレー屋でよく食べた覚えがあるので最近寄ったら、カレー店「モンスナック」としてまだあり、嬉しかった。1964年創業で、いまは三代目の店で、王さんがシェフで、ウェイトレスは中国大連出身の娘さんで、中国語で会話できてさらに嬉しかった。(この節:2019.06.13.)

デパートとアートシアター:地下道の右手に三越デパートがあり(最近ビックカメラに変わった)、新宿三丁目交差点に伊勢丹があったが、あまり寄ってない。このあたりに昔は新宿アートシアターがあり、『灰とダイヤモンド』、『アレクサンドル・ネフスキー』などの前衛的映画をよく見た。

サブナードで歌舞伎町へ:地下道の途中を左へ行くと歌舞伎町方面へ行けが、歌舞伎町はあまり及びでなかったが、以前西武戦駅前にあった歌声喫茶「ともしび」は好きで、中国滞在中も帰国すると努めて寄っている。ごく最近高校時代の友人たちと寄ったら、ロシア民謡は一切歌わず、童謡・みんなの歌的の歌ばかりで、寂しい思いがした。新宿には他にも歌声喫茶があるようなので、調べてみよう。(この節:2019.06.13.)

エスニック料理店:新宿三丁目界隈には、現在は様々なエスニック料理店がある。トルコ料理店「アンカラ」へ高校同級生たちと寄ったが、昼だったせいか世界三大料理の味はしなかった。まだ他にもいろいろあるようなので、寄ってみよう。

思い出横丁とゴールデン街:西口の飲み屋街「思い出横丁」へは時々寄ったことがあったが、最近歌舞伎町裏のゴールデン街へ高校同級生たちと時々寄るようになった。高校同級生の堀江朋子著『新宿センチメンタル・ジャーニー』((2018年))の著者が行きつけの店へと寄るためだ。

新宿御苑:地下鉄丸ノ内線で新宿三丁目駅の次は新宿御苑駅で、そこで降りて新宿御苑をぶらつくのもよくやった。

LAMN山の会OB&OG会。もと働いていた会社とその関係会社の人々がおもに参加していたLAMN山の会のOB会を、私を入れて5人で先週火曜日に開いてくれた。まず11時に新宿御苑に男4人で集まり、満開の梅の花・河津桜を見て、新しくできた大温室に寄って(湿度が高くカメラのレンズが曇っていい写真を撮れなかった)、12時半から新宿東口のビヤホール・ライオンで女性もひとり加わり、久しぶりの再会に祝杯を挙げた。私は長野オリンピック・サポートから帰った時に入り、定年退職直前の3年間に関東一円の山登りを憶え、本当に感謝している。そのころ私が幹事で週末に長野県最北部の糸魚川線の小谷温泉へ1泊して紅葉真っ盛りの雨飾山(1963m)へ登って特急あずさで行き帰りした思い出を話したり、この女性はまだ現役で働いているが男性は皆退職していて、そのひとりは世田谷区で「男の料理会」の6人の先生のひとりだ(料理の達人が毎月作るレシピ―を6人が習い、それぞれが各所で約10人の人たちと料理を作る)、などの話があった。私も中国大連と米国ハワイの様子を報告したのはいうまでもない。新宿への行きはJR大船から東京駅まで行き、地下鉄丸ノ内線に乗って新宿御苑駅で降りたが、帰りは新宿三丁目から「地下鉄副都心線」に初めて乗って東横線直通で横浜まで来て、そこからはJRで帰り、大分料金と時間が節約できて、便利になったものだ。 (2016.02.23.)

Iikura-machi & Mamiana

飯倉町の研究所・狸穴のロシア大使館

4月末の月曜日、狸穴(まみあな)にあるロシア大使館へいって、旅行ビザの申請をしてきた。6月末にロシアへ2週間ほど行予定で、ロシア人で民宿をしている人が見つかったのて、ビザの申請書類を送ってくれたから、ロシア大使館の正門の右にある領事部へいって申請して、1週間でビザをくれるという。これから中国または韓国からの格安航空チケットを探さないといけない。

この狸穴あたり、ちょうどロシア大使館の斜め前のビル(飯倉町)に、私は以前勤めていたことがあった。IBM大和研究所のできはじめで、まだ「日本研究所」といっていたころで、その後藤沢市の藤沢駅北口、続いて大和市へ移る前だった。アメリカ留学から帰ったばかりで、研究所長のアシスタントをしていて、まだ自由な独身時代で、なつかしくて、ロシア大使館など写真をたくさん撮ってきた。(2009.04.20.)

虎ノ門。もと大連住民たちの東京食事会が「グランド大連虎ノ門」であり、参加してきた。そうした会合はいくつかあるが、今回はもと大連領事館支所の所長さんが一時帰国したのを機会に、もと商社勤めの人が連絡して集まったもの。彼は今は青島に移っていて、気さくな人だが、集まったのは市中心部で商業関係に従事していて、食事会などをやっていた人たちで、私のように西郊外でIT関係をやっていた人たちは皆無だった。それでも神奈川県経済事務所でお世話になった人もいて、また日本語雑誌「Whenever大連」の編集長のお姉さんも来ていて、この会を記事にするというので、会の写真を撮って送ってあげた。 (2016.02.15.)

Western Part of Tokyo

東京都西部

東京都の西部には、武蔵野市などがある。さらに西は山岳地帯もあり、中学生ころから高尾山や秋川渓谷へはよく行った。最近も、拝島(はいじま)駅に高校同期生が8人集まり、我々のひとりの実家に当たる石川酒造を訪問してそこで昼食にして旧交を温めた

Musashino City

武蔵野市

武蔵野市三鷹にある大学に通った。吉祥寺も、その近くの井の頭公園でよく遊んだ。

Western Mountains & Valleys of Tokyo

高尾山・秋川渓谷

Mt. Mitake Hiking

武蔵御岳山でハイキング

奥武蔵の高麗川からの続き:土曜日午後は東京都の西部にある武蔵御岳山へ。駐車場に車を置いて、宿泊とハイキングに必要な物だけを持ってケーブルカーで、御岳山へ。ここは中学校時代に来て、20年前にも会社の同僚たちと来たことがあるので、私は多分3回目。ビジターセンターへ寄ったら、夕方6時から御岳神社で大祓があるというので、そこへ行き、今度は神官たちが「高天原に神集り(かむづまり)ます...」で始まる大祓詞」(おおはらえのことば)を唱えるのに、配られた印刷物を頼りに一緒に読んだ。旅館は「能保利」(のぼり)という名称で、ケーブルカー終点駅から平らな道を15分ほど歩いて、道が上りに変わる所にある。我々の部屋は2階の二部屋で、夕食は下のタタミの部屋で行われて、この日は4グループがあり、我々以外に聴力障碍者の2人(孫たちは時々寄って手話を習っていた)、日本人と外国人の女性連れ、登山にきた若者達6人連れ。 (2018.06.30.)

 日曜日は部屋が東向きで、未明にはきれいな朝焼だったが、日の出後は太陽が照り付けて暑い。6:30から散歩に出かけて、嶺雲荘(御嶽ユースホステル)の前の御岳案内板で、トレイル・ランニングをやっている若者と嶺雲荘の主人らしい人と、最近は「御祈祷鳥」(ブッポウソウ)がいないとか雑談。朝食前に部屋にある子供用の『みたけのお山のむかし話』第一巻、二巻(東堂真育著)が御岳山の難でヤマトタケルを救ったお犬さま(狼)やクシナダヒメの話で面白い。

 朝食後、暑い中をまた御岳神社へ上り、そこから大分歩いて「天狗岩」へ行き(娘と孫たちは登ったが、我々は遠慮し)、少し下る「七代の滝」は寄るのを省略し、長尾平(紅葉で有名)でしばし休憩。そこから沢へ下り、小川を上って「ロック・ガーデン」へ着いたがそこは人だかりだったので、さらに沢を上って「綾広の滝」まで行って、孫たちをビーサン(ビーチ・サンダル)に履き替えさせて遊ばせる。昼をずっと過ぎていたので、急いで御岳神社の階段下の景色がいい店「見晴らし駒鳥」でヤマイモ・ソバを食べて、ここぞとソバ湯を沢山飲んで、ケーブルカー頂上駅へ戻って下山し、駐車場で車を得て帰宅の途へ。この日歩いた行程は、妻がしばらく前の紅葉時期に友達と一緒に来たことがあるといい、順序は違うがここにある。帰路は15:30に駐車場を出て、「日の出IC」で圏央道へ入り、その後1時間40分で藤沢市の家に着いた。車の総走行距離は、253キロメートル。(2018.07.01.)

Visiting Ishikawa Sake Winery in Haijima, Tokyo, with My High School Classmates

拝島の石川酒造を高校同級生と訪問

東京都の拝島(はいじま)というと、中央線の中野〜三鷹駅あたりで中学・高校・大学時代を過ごした私には多摩・奥多摩地区の山々のハイキングの際にこの駅で青梅線・五日市線・西部新宿線へよく乗り換えした想い出の駅で、この日曜日には駅近くにある石川酒造を高校同期生8人と訪問してきた。実は我々のひとり(石川隆俊)の実家で、江戸か明治ころの板塀に囲まれた4000坪の敷地に、酒蔵・レストラン・歴史館(品川の代々の名主で朝鮮通信使を接待したこともあるという)などもあり、説明も受け、屋外のテラス風のテーブルで昼食(3000円)。

終って近くの彼の家へ行き、有名大学の医学部長を務めた彼が昨年出版した本『なぜヒトだけがいくつになっても異性を求めるか?』(かんき出版、2013年)を肴に奥様の手料理で会食の続きをして、彼はバイオリン・奥さんは音楽大出なので退職後にピーボディー音楽院(Peabody Institute)@ボルチモアに留学した話などもあり(この音楽院は知らなかったがJohns Hopkins Univ.の一部)、興に乗って彼のバイオリン・奥さんのピアノ伴奏の「愛のあいさつ」の演奏もあった。私も興に乗り、歌を習っている女性の同級生を誘ってドイツ語で「歌の翼に」(3番が少し違うメロディー)と「野ばら」を歌い、さらに「Beautiful Dreamer」と「サンタルチア」も歌った。拝島へ行くのは小田急で町田へ出て、横浜線で八王子へ行き、そこから八高線で拝島へ着き、こうして東京・横浜郊外を南北に移動するのは初めての経験だった。注:多摩地区には酒蔵があと2つあり、田村酒造はより大きいが、レストランなどはなく、石川酒造と姻戚関係があるという。また小澤酒造の澤乃井は全国的にも有名なブランドで、場所も青梅線の多摩川沿いのいいところにあり、レストランその他も完備しているという。(2014.05.25.)

Machida City: Walk along the Sakai River from Fujisawa to Shiroyama in Fall 2020

町田市

私が以前働いていたIT会社が町田市の南部に運動場を持っていて、以前はよくテニスをやりにいった。

境川(神奈川県・東京都)を藤沢から町田経由で城山ダムの水源まで歩く 2020秋

One-Night Stay on Izu Oshima

伊豆大島一泊旅行

水・木曜日に、近くの江の島から船で出発して、妻と伊豆大島へ行ってきた。2012年から東海汽船が始めたサービスだそうで、ご自慢のジェットフォイル船(ボーイング社製)で、スピードが速いだけでなく、波による揺れの影響も少ない。8:15に江の島を出て一時間後には元町港へ着き、この日は一日中ほぼ晴れで、レンタカー会社が迎えに来ていて、そこでスズキの軽自動車を借りた。大島はほぼすべて軽自動車で、普通車は2・3台見かけただけで、道路はすべて速度制限40キロだった。初日は右回りで全島を一周して、東側はほぼ無人の地域で、途中で岡田港、大島海浜植物群落で散歩して、三原山登山道「月と沙漠コース」で強風が吹く中を第一・第二展望台まで登り(JAL木星号遭難碑があった)、最南端の波浮港の寿司屋で昼食。そこからは島の西側を北上して、途中で地層大切断を見て、元町の大島火山博物館で「伊豆大島ジオパーク」の中身を勉強したが、ハワイ島との比較展示が多かった。御神火スカイラインを三原山登山口まで運転して、大島温泉ホテル(東海汽船経営)へ着いて、そこで泊まった。

 翌朝、ホテルの周りは濃霧。8:48の大島バスで三原山登山口まで行き、霧が晴れ出して曇り空の下を舗装登山道でウグイスの鳴き声を聞きながら、40分後には頂上へ。そこからは頂上一周コースを歩いて(お鉢巡り)、最高点(600メートル位)で三原山火口を見下ろす。登山者は我々以外1・2組だけだった。下山には温泉ホテル・コースを歩き、40分でホテルへ帰還。それから元町へ下り、港近くのレストラン「かあちゃん」で刺身定食。大島資料館に寄って、大島紡ぎ作りの機織り機、古い民家、降雨時に灌木から縄で瓶へ水を貯める様子などを見て、レンタカーを返して、今回もすべて妻が運転して、総距離は93km。レンタカー会社に港まで送ってもらい、立派な港のビルでビールを飲んで、15:15発のジェットフォイル船でまた一時間で江の島へ帰った。

 伊豆大島は1986年の噴火で全島民が島外へ避難して、その年に噴火が収まって、東京都などがこの新しい立派な港待合ビルなどを建てたが、「かあちゃん」によると支庁か役場は郵便局以外に産業がないので高校卒業後はみんな島外へ出るという。水を豊富に使っていたので観光案内所で聞いたら、波浮港のそばに海水を真水に変える設備もあるが、北部には井戸を掘って飲み水を得る施設があるという。お土産は牛乳煎餅(うまい)、椿あげ(そうでもない)。(2019.06.19.-20.)

Kanagawa Prefecture

神奈川県

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Prepared by Yoshi MIKAMI on November 28, 2004. Last update: Oct. 14, 2020.